頑張れ日本!なブログ

衰退傾向にある日本 でも日本は実は恵まれているのだ

私の少年時代の秘密基地遊び 武装チビ軍団だった



f:id:othersblog:20190216234459j:image

私は子供の頃からテレビゲームが大好きです。

それでも、小学生の時は天気悪い日以外はほとんど外で遊んでいたと思います。外で遊ぶのが大好きでした。

大阪の街中に住んでいる甥っ子が小学生高学年で、長野にもたまに遊びに来るのですが、その時一緒にする遊びの違いに私が戸惑うことがあります。釣りや虫捕りやエアガンで的当てもしない。「兄ちゃん、ゲームやろう」と天気の良い昼間でも誘ってくるのです。せっかく長野来てるんだから普段出来ない事を昼間は外でやって、夜ゲームでいいんじゃない?と思うのですが^^;

しかし、近所で遊んでいる小学生たちもよくみるのですが、公園でDSをやっていたり、サッカーをやっていたり、皆穏やかな遊びをしているようで、昔の私たちのような悪ガキっぽい遊びをしている子供を中々みることができません。

 

 

 

 

私の少年時代

メイン秘密基地

私たちには裏山に秘密基地があった。そこに放課後仲間と集まって日々秘密基地の開拓に励んでいた。それがとにかく楽しくて、テレビゲームをしているよりも盛り上がって、薄暗くなるまで時間を忘れて遊びまくった。

 

裏山の道端にある誰かの畑の横の林をすり抜けていくと小川があり、その小川の横の低い斜面の上に我々の秘密基地があった。そこまではいつも徒歩で向かい、それぞれお手製の武器やオヤツを持参していった。f:id:othersblog:20190215232642j:image

倒木があったため、そこに拾ってきたネットやロープでハンモックやブランコを作ったりした。雑草を刈ったり家具のようなものや武器を作っていたらあっという間に時間が過ぎた。

小川の向こう側にはちょっとした湿地があり、そこを抜けると竹やぶもあった。竹は加工がしやすいため様々な道具を作る良い素材だった。竹やぶの前には古い巨木があって、根本には中で熊が寝られるのではないかと思うくらいの大きな穴が空いていてすごく神秘的だった。

 

その基地を拠点に、山の中の道無き道を探検しまくった。リスや野ネズミやヘビなどに会ったり、時には森の中をさ迷うおっさん(もしかしたら雪男だったかもw)を見てびびったこともあった。今でも裏山の道無き道のことはその辺の子供より熟知している自信がある。でかくて神秘的な岩や、左右から水が湧き出てくる滝の場所など今でも鮮明に覚えている。

 

 

サブ秘密基地
f:id:othersblog:20190215232655j:image

僕らはサブの秘密基地も持っていた。

こちらは山の急斜面。ケヤキの大木が何本も生えている所に作った。作ったというかほぼ自然のままだけれど。

ここには上の道路からゴミを捨てる人がいるのか、昔のイビツな形をしたビー玉(昔のものはエー玉というらしい)など、面白いものもゴロゴロ落ちていてちょっとした宝探し気分が味わえた。その周りはフサフサの落ち葉がたくさんで、それをかき集めてそれぞれの基地(ケヤキの木の根本)で昼寝をした。

 

 

僕らの武器

先程から「武器」と書いているが、我々の武器は基本的に、映画「ロードオブザリング」や「インディ・ジョーンズ」「ハムナプトラ」から真似をした剣、弓矢、斧(こん棒)、二刀流剣などなどである。木や竹をナタやノコギリで加工して全て自作した。


f:id:othersblog:20190216123315j:image

私の一番のお気に入りは弓矢だった。みんなは拾った良い形の棒をそのまま使っていたが、私は加工して、性能の良い弓矢の開発を日々行っていた。角度を付けて矢を放てば50mは飛ぶ恐ろしい武器を我々は所持して冒険していたのだ。

山の中を探検していると、すごく心が踊るカッコいい形をした木の棒を見付けることが多々あって、ドラゴンの形をしたものや、曲がりの効いたククリ刀のようなものなど、見付ける度に家まで持って帰るので、実家の物置は棒だらけだった。でも不思議なもので、山の中で気に入って持ち歩いていた棒は、家に帰ってから見るとただの小汚ない枝に見えてしまい、その後は使わないことが多かった。

もちろん私たちは武器を所持していたけれど、人を攻撃するためのものではない。基本的には藪を払ったり邪魔なイバラの木をなぎ倒すに使われた。大量のススキをロードオブザリングに出てくる敵「ウルクハイ」に見立てて合戦も行われた。一面のススキ林がなぎ倒されてるのをみて大人たちはどう思ってみていたのだろう・・・。f:id:othersblog:20190216132836j:image

 

弓矢はたまにあるゴミに向かって射っていただけで、鳥などに当てたことなどないただのロマン武器だった。ロードオブザリングレゴラスの真似をして、2本撃ちも練習した。馬に乗りながら矢を射る訓練として、自転車に乗りながら的に矢を放っていたこともあったり、空高く矢を打ち上げて、みんなでキャーキャー言いながら逃げ惑うという危険な遊びもしていた。今考えると我ながら恐ろしいガキンチョだった・・・。

 

 

 

通学路も冒険だった
f:id:othersblog:20190215232709j:image

私たちは学校に行くときでも武器を所持していた。道端にある草を叩いて歩いたり、みんなでチャンバラをやったり。

拾った畑用の野菜を運搬する台車?のようなものをカスタマイズして、それに順番に乗って学校までいったりもした。学校に武器や乗り物を持っていくわけにはいかないので、途中の草の中などに隠しておいて、また帰り道回収して武器を装備するのが決まりだった。

他にも、ホームレスの寝床を見付けたり、クワズミや柿やザクロやアケビ(人の家のものもある)を取って食べたり、朝会う綺麗な外国人のお姉さんにデレデレしながら挨拶したり、女の子と弱ったハトを見付けて看病したり、と毎日がなんだかんだで楽しいこと尽くしだった。

 

また、私たちにとってごみ捨て場は宝の山だった。基地建築の資材に使える段ボール、ロープ、スキーのストック(これで道路を叩くと火花が出て楽しい)、大人の本...など。まるでカラスかのように物色するのも日課だ。

 

 

自動販売機争奪戦
f:id:othersblog:20190216123304j:image

宝の山といえば自動販売機も外せない。かなりの頻度で小銭が落ちていたり、お釣りの取り忘れがあるので毎日チェックは欠かせないのだ。お金は取ったもの勝ちで、そいつのものになるので、みんな自販機の近くの道までいくと、お互いいつ走り出すか様子を伺いつつ、一斉に走りだす。お釣り口、自動販売機の真下、自動販売機の足場の隙間、自動販売機の前の砂利など、それぞれのポイント目掛けた争奪戦も日々の日課だった。その時はみんなの顔に笑みはなくなっていた。    学校にはお金を持っていってはいけない決まりだったため、拾ったお金でジュースを買えた時はとても嬉しかったし、特別美味しく感じた。

 

 

 

もっと子供たちには野蛮に遊んでほしい

まだまだこの他にも、川原に段ボールで家を建てて、拾った綺麗な石などを飾ったりしたりしました。台風で跡形もなく吹き飛んだのもいい思い出です^^;

 

私たち秘密基地仲間は皆、通学路に田んぼ道や大きな川があったことなどで、他の住宅街に住んでる子などには出来なかった遊びが、ランドセルを背負ったまま毎日できてとても恵まれていたと思います。私は男の子なんかはみんなピストルや剣が大好きなのだと思っていましたが、大阪に住む甥っ子と接したことで改めて自分が周りの環境に恵まれていたことを実感しました。

それでもやはり甥っ子にもそういう遊びも知ってほしくて、池に釣りに連れていったり、夜にクワガタを捕りにいったり、炭火を起こして焼肉をし、そのまま火遊びさせるなど、田舎だからできるような遊びをさせてあげました。甥っ子は最後まで虫は全く触れず(せっかく捕まえたクワガタも)でしたが、帰る日になると全然喋らなくなってしまい、別れるときには帰りたくないと泣きじゃくってくれて、楽しんでくれてよかったぁととても嬉しかったです。

私には今1歳の息子がいますが、彼にも小さい内から登山に行ったりカヌーに乗ったり、キャンプしたりなど、自然とふれあう遊びに誘って行ってあげたいと思っています。

弓矢などの危険な武器の作り方は敢えて教えなくてもいいかな・・・。

 

剣を持って振り回して秘密基地で遊ぶなど、大人になるとやりたくても人目を気にして中々できなくなる遊びですから、子供たちには子供の内に思いっきり遊んでほしいですね!